胆大小心録(上田秋成 著、中村幸彦 校注)

眼横鼻直(教員おすすめ図書)
Date:2025.10.01

書名 「胆大小心録」(上田秋成集<日本古典文學体系56>)
著者 上田秋成 著、中村 幸彦校注
出版社 岩波書店
出版年 1959年
請求番号 918/1-56
Kompass書誌情報

怪談『雨月物語』の作者上田秋成は(けん)(かい)固陋(ころう)な性格として知られるが、なかなかどうして、生粋の浪華人(なにわびと)、ちょっと偏屈ながら笑いの感度が高い、愛すべき人物であると私には思われる。秋成最晩年の76歳の時に成った随筆が『胆大小心録』である。秋成が何ものにもとらわれず自由に筆を走らせたこの随筆から、毒の効いた笑いを紹介してみよう。

ある時、本居宣長と書簡を交わして激しく論争した。この古代をめぐる国学論争(「呵刈葭(かかいか)」論争)は全く議論が噛み合わないまま終了した。ところが、あろうことか、宣長は後日この往復書簡を問答体にまとめて出版してしまった。しかも「呵刈葭」という題名を付して。「(あし)を刈る」は和歌用語で浪華を意味し、「あしかる=悪しかる」男と秋成を揶揄、「呵」はなじるとか笑うとかいう意味である。明らかに秋成をそしっている。秋成にしてみれば、勝負にならない試合が勝手に負け試合とされ、世間に公表されてしまったのである。曰く言い難い鬱屈した思いを秋成は抱き続ける。そして晩年、『胆大小心録』に次のような狂歌を詠む。

ひが事をいふて也とも弟子ほしや古事記伝兵衛と人はいふとも(第5段)

もちろん、「こじきでんべえ」は人の名前になぞらえて、『古事記伝』で一躍名を馳せた宣長をかすめている。書物の上でではあるが、一矢報いたと言えようか。そうかと思えば、こんな話もある。

放下(ほうか)の語るを聞けば、「そちの母はいくつじや。八十三とか。大事にしや。万一人もないものじや。金銀では得られぬぞ。其かわりに、売ると云うても、三文にも(かひ)てはない」といふた。是は奇語なり。(第141段)

なるほど言い得て妙、秋成も思わず笑ってしまったに違いない。この随筆は、自在な語り口で、硬軟取り混ぜた話題が次々と繰り出されている。皆さんにも、是非お気に入りの一話を見付けてもらいたい。

文学部 教授 近衛 典子 

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