柔術の遺恨 : 講道館に消された男田辺又右衛門口述筆記(細川呉港 著)
Date:2025.09.01
書名 「柔術の遺恨 : 講道館に消された男田辺又右衛門口述筆記」
著者 細川 呉港
出版社 敬文舎
出版年 2022年
請求番号 789/97
Kompass書誌情報
私たちの両親や祖父母の世代が若い頃、胸を熱くした映画に「姿三四郎」がある。
本作は繰り返しリメイク版が撮影され、類似作品も多く作られるなど、戦後のエンタメ界に広汎な影響を及ぼした。そのプロットは、会津出身の青年・姿三四郎が柔道家・矢野正五郎(講道館柔道の創始者・嘉納治五郎がモデル)に入門し、他流柔術との死闘を経て人間的に成長していくというものである。そのなかで悪役にされるのが古流の柔術家たち。彼らは前近代的で、野蛮で、非倫理的な存在として描かれ、純粋で、まっすぐで、倫理的な存在たる、矢野・姿を中心とする「修道館」側に対置される。
この映画は富田常雄による同名の小説を原作とするが、富田は嘉納治五郎の一番弟子・富田常次郎を父に持ち、自身も五段の腕前を持つ柔道家である。つまり、「姿三四郎」は、講道館が既存の古流柔術を淘汰し覇権を確立していった過程を熟知していた富田が、史実にインスパイアされて造型したものなのである。そうした造型のなかで柔術家は憎むべき悪役と定位され、それが映画、ドラマ、絵物語や柔道漫画等を通じて何度も生産・再生産され拡散された。が、実際のところ、柔術家たちはそれほど「悪かった」のだろうか。本書は不遷流柔術の達人・田辺又右衛門(たなべ・またえもん)を主人公に据え、その活躍を描くことで、柔道=善/柔術=悪という二項対立を問い直していく。
又右衛門は岡山県倉敷市玉島長尾の出身で、父は不遷流第三世の虎次郎。幼少期から柔術に親しみ、研鑽を積んだ。講道館柔道が勢力を拡大していくにあたり、ひとり敢然と立ち向かったのが又右衛門だった。又右衛門は、永岡秀一、磯貝一、山下義韶、戸張瀧三郎といった伝説的な柔道家たちとたびたび試合をしたが、一度たりとも敗北を喫することはなかった。あまりの強さに、「鬼横山」の異名を持つ横山作次郎(三船久蔵十段の師)も対戦を避けたという。しかし、張り巡らされていく組織網のなか、又右衛門は次第に疎外・排除されるようになり、試合を無理に中断させられる等、何度も苦汁をなめさせられる。さらには戦火によって自らの道場を失い、失意のうちに没した後、その存在すらも半ば忘却されるのである。
本書の叙述には賛否もあろうが、たんに柔道史・武道史のある側面に光を当てるに止まらず、組織と個人との関係、信念を貫くことの貴さとその代償、理想と理想との衝突等、普遍的な問題系について、思考を刺激してくれる作品であると思う。一読をすすめる所以である。
総合教育研究部 講師 原 信太郎アレシャンドレ