吉田健太郎先生コラム「フィリピン・マニラでの原体験から始まった、私の現場主義」

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(マニラの街並み。都市の華やかさと生活の厳しさが隣り合う環境は、私の価値観の原点を形づくった)

 今回「教員コラム」の執筆依頼をいただき、これまでの研究と教育を支えてきた源泉を改めて振り返る機会となりました。私にとって、その原点は小学校後半から中学卒業までの約5年間、商社マンだった父の赴任に伴い暮らしたフィリピン・マニラでの生活にあります。日本とは異なる環境に家族として身を置くなかで目にした光景の数々は、後の研究テーマや教育観に長く影響を与えることになりました。
 当時のマニラは、巨大ショッピングモールや高層ビルが立ち並ぶ都市としての華やかさと、道端で物を売る人々やストリートチルドレンが必死に生きる姿が、わずかな距離を隔てず共存する場所でした。自分が暮らすエリアと、路上で生活する人々の世界が隣り合って存在する----そのコントラストを「日常」として受け止めた経験は、世界の不平等や構造的な課題を肌で理解する最初の契機となりました。同時に、「自分の目で見て、自分の足で確かめること」の大切さが強く刻まれた時期でもあります。
 治安の不安、停電、浸水、渋滞といった不便さは、日本では想像しづらい生活の現実を教えてくれました。一方で、家族やコミュニティが強く結びつき、互いを支え合いながら明るく日常を営む姿にも触れました。マニラは「課題のある場所」であると同時に、「人と人のつながりが確かな力を持つ場所」でもあったのです。
 こうした豊かさと貧困の両面が同居する環境に身を置いたことは、真の豊かさとは何か、地域を支える力とは何かを考えるきっかけとなり、その後の私の価値観や研究・教育の方向性に深く根づいていきました。

■JETROとアジア経済研究所での「問いの深化」
 大学卒業後、漠然と世界と日本の架け橋となりたいと考えた私は、日本貿易振興機構(JETRO)に入構し、ほどなくアジア経済研究所へ異動しました。同時期に大学院にも進学し、研究と実務を両立する生活が始まりました。当時の私は、幼少期のマニラ体験が心の奥にあり、「地域はどのように成長していくのか」「誰がその地域の未来をつくるのか」といった問いに強く惹かれていました。
 その問いの答えを求めるようにして、私は東南アジア各国や米国を訪れ、地域の産業構造や企業の実態を調査していきました。調査を重ねるなかで浮かび上がってきたのは、国や地域によって形こそ異なるものの、経済が外資や大規模企業といった「外部の大きな力」に影響されやすいという現実でした。フィリピンでは、輸出加工区に立地する外資系企業が地域の雇用や生産を支える一方で、小売や不動産、金融などの生活に密接な分野はアヤラをはじめとする財閥が広く手がけ、地域から新たな企業が育つ余白が非常に小さい。そうした構造が、チャンスと同時に脆さを生み出していることに気づくようになりました。
 同じ頃、欧米の先行研究や地域発展の事例に触れる機会も増えました。そこでは、地域が持続的に発展していくためには、外部の大きな組織の存在だけでは不十分であり、むしろその土地の文化や技術、生活の中にある強みを生かして事業を起こしていく起業家や中小企業の存在が重要である、という議論が繰り返し提示されていました。東南アジアで見てきた現実と欧米研究の示唆が私の中で重なったとき、次第にはっきりとした輪郭を帯びていきました。
 地域の自立的発展には、その土地に根ざした企業や起業家が、自らの強みを生かして成長していく力が不可欠なのではないか。この仮説が、私をアントレプレナーシップ研究や中小企業研究へと強く導いていくことになります。
 こうして生まれた問題意識を胸に、私は次第に「地域の発展や起業家の挑戦が、どのように政策や制度の形づくりと結びつくのか」を知りたいと思うようになりました。地域を支える力がどこで生まれ、どのように社会全体の仕組みと結びついていくのか、その関係性をさらに深く理解したいという思いが、私を米国ワシントンDCでの学びへと向かわせていきました。

■米国ワシントンDCで触れた「知が生まれる現場」
 CSIS(米国戦略国際問題研究所)での滞在は、私の研究姿勢を決定的に変えました。ワシントンDCでは、政府、企業、大学、NPOが同じテーブルで事実とデータをもとに議論し、その場から具体的な政策や提言が動いていく光景を日常的に目にしました。立場よりも「知の質」が重視され、若手研究者であっても価値ある分析を提示すれば議論の中心に入れる。この「開かれた知の文化」に触れ、学問は現実と接続した瞬間に力を持つという確信が胸に刻まれました。


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(初めて訪れたニューヨーク。多様性そのものが都市の競争力になっていることを実感した出張だった。)

yoshida_5(CSISで当時の上司マイケル・グリーン氏と。政策と研究が交差する現場で、多くを学ばせてもらった。)

 同時に、私は米国内の現地調査にも頻繁に出向きました。数か月ごとに訪れたニューヨークでは、金融・クリエイティブ産業・移民コミュニティが交差し、多様性そのものが都市の競争力となる構造を学びました。また、数回訪れたテキサス州オースティンでは、大学、IT企業、市民文化が結びつき、地域の創造性が新産業を育て始めている「成長の初期相」を体感しました。これらの都市に共通していたのは、政策だけでなく、起業家や地域リーダー、市民が自ら役割を持ち寄ることで都市が変わっていくという事実でした。地域発展の原動力は、最終的には「人のエネルギーとネットワーク」に宿る----この気づきは、後の私のアントレプレナーシップ研究や地域活性化の視点に深くつながっています。
 ワシントンDCの政策現場での経験、ニューヨークやオースティンで見た都市のダイナミズム。それらを通じて私は、机上では見えない真実が「現場」には存在し、実地での観察と対話が思考を鋭くし、研究を社会へと接続させる土台になると強く実感しました。こうした経験が、現在の私の教育・研究の根幹である「現場主義」の原点となっています。

■新潟での「現場教育」の実験、鎌倉でのコミュニティカフェ起業
 大学教員として最初に赴任した新潟県新発田市では、まず商店街の急速な衰退が目に入りました。空き店舗の増加や人通りの減少の背景には、人口減少や大型店の影響だけでなく、「人が集まる場の喪失」という地域コミュニティの空洞化があることが、ゼミ生と行ったフィールドワークから明らかになりました。


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(コミュニティカフェの立ち上げは地元紙(新潟日報)にも紹介され、地域に新しい交流の場が生まれた。)

 そこで私たちは、地域に新しい「つながりの場」をつくることを目的に、商店街の空き店舗を活用したコミュニティカフェを学生主体で立ち上げました。経営計画づくりからメニュー開発までゼロから挑戦し、地域の方々と学生が自然に交流する姿が生まれ、「地域に求められていたのはこうした接点なのだ」と確信しました。カフェを基点として、地元農家と連携した農産品販売、スイーツ開発、主婦層の声から着想を得たお子様預かりサービスや買い物代行など、複数のプロジェクトが次々と始動しました。地元食材に新たな価値が生まれ、商店街にも再び活気が戻り、学生の「自己効力感」も高まっていきました。
 こうした取り組みをつなぐハブとなったコミュニティカフェは、単なる店舗ではなく、地域の声が集まり、学びが実践に変わる「関係の拠点」となりました。学生が地域の方々と共働する過程でみせる成長を目の当たりにし、「深い現場体験が人を育てる」という現在の私の教育観が、この新潟での実験的な取り組みを通して形づくられました。
 東京の大学に移ってからも、私は実践教育の軸を変えませんでした。前任校(立正大学)では、ゼミ生とともに 鎌倉でコミュニティカフェを起業するプロジェクトに挑戦しました。学生たちがメニュー開発を行い、店舗運営を管理し、地域住民や観光客と対話を重ねる中で、「人に喜ばれる経験が自分の成長につながる」という当たり前のことを、学生たちが自ら体感していきました。失敗も含め経験を積み重ねながら少しずつ形にしていくプロセスは、ゼミ教育の醍醐味そのものでした。

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(鎌倉で取り組んだ学生主体のカフェづくり。地域の方々との対話を通して、学びが形になっていった。)

■駒澤大学とフィールドワークの継続
 駒澤大学に着任してからも、「アントレプレナーシップ=人間力教育」という理念のもと、フィールドワークと産学連携を中心に据えています。地域企業との新商品開発、自治体との政策提案、体験型観光づくりなど、学生たちは現場で自分の役割を見つけようとしています。
特に印象深いのは、フィリピンでの2か月間の海外インターンシップです。ゼミ生が現地企業の一員として働き、日本向けの新規顧客獲得に挑みました。幼少期を過ごしたマニラと大学教育が再びつながった瞬間でもありました。

yoshida_9(JETROホーチミンを訪問したスタディツアーの一場面。起業家や現地企業との対話を通じて、学生がアジアの現実に触れる学びの機会となった。)

海外インターンシップは、もともと前任校で始めた取り組みですが、駒澤大学に移ってからは、内容をより「異文化経営に触れる」学びへと設計し直しました。現地スタッフとの協働や経営者との議論を通じて、学生が事業づくりのプロセスを体験できるようにしたのです。その後、コロナ禍が続きプログラムの継続が難しくなりましたが、そこで新たに始めたのがベトナムでのスタディツアー(長崎県立大学大久保ゼミとの合同企画)です。起業家や企業訪問、現地大学との交流に加え、地域課題に向き合うフィールドワークを盛り込み、学生が異文化の中で問いを立て、学びを深めていく取り組みへとつながっています。こうした経験を通じて、学生たちはアジアの未来を自分ごととして考える貴重な機会となっています。

■すべてはマニラから始まった
 振り返れば、これまで歩んできたさまざまな土地での経験は、一見別々のようでいて、どれも「現場から学ぶ」という一本の軸でつながっています。幼少期のマニラで感じた世界の複雑さは研究の問いとなり、その問いは教育へと受け継がれ、やがて学生の成長として返ってくるようになりました。
 思い返すと、私の学びはいつも人々の営みのそばから始まり、そこでの気づきが研究や先行知の理解を押し広げ、新たな視点をもたらしてくれたように思います。----すべての原点はあのマニラにあり、そのとき芽生えた問いは今も私の中で静かに息づいています。これからも学生とともに現場に立ち続け、そこで得た経験を社会へ確かな形で還元していきたいと考えています。 

(本文は、学内広報記事KOMAZAWA DIRECT教員コラム1月号に寄稿したものである。)