令和7年度 学位記授与式(卒業式)学長式辞
村松 哲文 学長
卒業生の皆さん、本日はご卒業、誠におめでとうございます。
また、今日この日まで皆さんを支えてこられたご家族の皆様、関係者の皆様にも、大学を代表して心からお祝いを申し上げますとともに、これまでの多大なる理解とご協力、そして温かいご支援に、深く感謝を申し上げます。
卒業生の皆さんが本学に入学された2022年の春、私はまだ学長ではありませんでした。昨年の春、学長に就任して以来、それまでとは違った新鮮な目で大学全体を見るようになりました。すなわち、皆さんの学生生活の集大成となる日々を、自分の身に置き換え、しみじみとした感慨をもって見守ってまいりました。
皆さんが入学された年の国際情勢を振り返れば、ウクライナ侵攻という衝撃的な出来事が真っ先に思い起こされます。それから4年が経ち、いまだ停戦の兆しが見えないことは、皆さんも日々ニュース等で注視しているとおりです。さらに、緊迫する中東情勢など、現在、国際秩序は巨大な揺らぎのただ中にあります。新しい門出を前に、皆さんは大きな期待とともに、複雑な現代社会の未来について、少なからず不安を抱いていることでしょう。私もまた、同じ気持ちでおります。
このような混迷の時代にあって、世界の異なる価値観をどう融合させるのかという「問い」と、そのヒントとなる「教え」を皆さんと分かち合いたいと思います。
昨年10月24日にYouTubeに投稿された「アジアの教会に向けた教皇レオ14世のメッセージ」という動画を視聴した際、現教皇は「アジアや東方の宗教には、宗教間対話の新しい可能性を開くものがある」と述べていました。
このメッセージは、かつて東洋の思想に深い関心を寄せた哲学者マルティン・ハイデッガーが遺した、「足元を見つめる」という姿勢を、私に思い出させました。ハイデッガーは、西洋的な合理主義が行き詰まったとき、東洋の精神性の中にこそ、世界を再生させるヒントがあると考えた人です。
彼はこう述べています。「私たちは、自分とは異なる文化や価値観を持つ者と出会うとき、つい『理解できない』と線を引いてしまいがちだ。しかし、真の対話とは、相手を分析することではない。相手の背後にある、言葉にできない『静寂』や『慈しみ』の心に触れることだ。アジアの精神性には、万物の中に尊さを見出す深い洞察がある。それは、分断された世界を再びつなぎ合わせる大きな希望である」と。
この「万物の中に尊さを見出す洞察」と「分断された世界をつなぎ合わせる」ことこそ、まさに本学が教育理念に掲げる仏教の「智慧」と「慈悲」に他なりません。
仏教では、物事の本質、真理を見抜く力を「智慧」と呼びます。そして、他者の喜びや悲しみを自分の事とする思いやりの心を「慈悲」と呼びます。先ほどのハイデッカーの言葉を借りれば、異なる立場の人々と向き合うとき、自分の物差しで判断するのではなく、相手の命の尊さをそのまま受け入れてつながり合うこと――これこそが、現代の対立を乗り越える「智慧」と「慈悲」の具体的なあり方と言えるのではないでしょうか。
私は本学を卒業する皆さんに、このキャンパスで仏教の「智慧」と「慈悲」に触れたこと、そしてそれを自らの中に育んできたことに、確かな自信を持ってほしいと願っています。
また、私は学長に就任して以来、「智慧」と「慈悲」の根本には仏教の「縁起」の教えがあることを強調してまいりました。
「縁起」とは、私たちは決して孤立した存在ではなく、すべてが関わり合って生きているということです。皆さんには、駒澤大学で結ばれた縁が数多くあることでしょう。ゼミやサークルの中での人との繋がり、はじめは細い糸のような繋がりだったかもしれません。けれども4年間、共に笑い、共に悩む中で、その糸を太く、強く、切れない絆として縒り合わしてきたはずです。そのような「縁」を、これから皆さんが踏み出す広い社会でも、たくさん紡いでいただきたいのです。それこそが皆さんの未来を揺るぎなく支えてくれるということを、心から信じています。
さらに、本学は禅の精神も教育理念としておりますが、禅は、現代社会を生き抜く私たちに、もう1つの大切な姿勢を教えています。
それは、「いま、ここ」を丁寧に生きること。
いま目の前の行為に全力を尽くすことです。
私の記憶の中で、熱く思い出される光景があります。駒澤大学陸上競技部の姿です。彼らは毎年、多くの人々に感動を与えてくれます。箱根駅伝という晴れ舞台では、一人ひとりの孤独な努力が「襷(たすき)」としてつながり、チームを前へ進めます。私も今年、沿道で声を枯らして応援しながら考えました。人生もまた、駅伝と同じではないかと。一瞬の華やかな成功だけでなく、目立たない日々の積み重ねこそが、人を形作っていくのです。
皆さんがここで過ごした時間――授業を受け、友と語らい、時に立ち止まり、努力した日々。その「いま、ここ」の積み重ねこそが、すでに皆さんというかけがえのない個性を形作っています。
本日、皆さんは卒業します。しかし、学びはここで終わるわけではありません。
社会という広い世界へ踏み出すこれからが、本当の学びの始まりです。人生の目的は、どこかにある正解を見つけることではありません。真理に照らし合わせて、歩み続けるその過程において、自分自身を深く理解していくことなのです。
その営みを、道元禅師は次のような言葉で示されています。
「仏道をならうというは、自己をならうなり」
皆さん一人ひとりが、深い智慧をもって真理を見つめ、慈悲の心をもって人と向き合い、それぞれの場所で新しい縁を結んでいく、その積み重ねが「いま、ここ」の自分なのです。そのような自己形成を、たゆまず続けていかれることを心から願っています。
最後になりますが、私は本学を社会に開かれた場所にしたいと考えています。皆さんが社会で何かを成し遂げた時、あるいは壁にぶつかった時、いつでも母校を訪ねてください。卒業生の皆さんをお迎えできることは、本学にとって大きな喜びです。
皆さんの前途が希望と可能性に満ちたものであることを心から祈念し、学長式辞といたします。
本日は、誠におめでとうございます。
令和8年3月23日/24日
駒澤大学学長
村松 哲文
