令和7年度 9月学位記授与式(卒業式)総長祝辞
令和七年度九月の卒業式に当たり、学校法人駒澤大学の教職員を代表し、卒業生の皆さん、そして関係される保護者の皆さまに、お祝いの言葉を述べさせていただきます。
永井 政之 総長
新型コロナウイルスに翻弄された四年余の時が過ぎ、一昨年五月以降、五類感染症へと位置づけが変わり、今となってはすでに過去の出来事のような感すらあります。
しかしそれはあくまでも一面的な現実の見方で、別の長いトンネルは相い変わらず続いているように思えます。戦争や経済の動向、人類永遠の課題とも言えるSDGsの運動などなど、解決のためのトンネルは尽きることがないと考えた方が無難のように思われます。
ともあれ、卒業される皆さんに即して見るなら、皆さんは貴重な四年余の学生生活の半分、あるいはそれ以上の月日を、コロナ禍の中で送られました。大学としてはできる限りの工夫努力をしたつもりですが、必ずしも十分であったとは言えません。
「研究と教育」の場として、多大な不便を被られた皆様に、大学を代表して衷心よりお詫び申し上げるとともに、皆さんがさまざまな工夫と努力の結果、ここに無事に卒業の日を迎えられたこと、重ねてお祝い申し上げます。
いったいコロナウイルスの蔓延にとどまらず、先に述べたような様々な課題とその影響がどのような形で今後残り続け、私たちの価値観や生活を変えていくのか、コロナ禍やAIの出現によってもたらされた「ニューノーマル」・「新常態」がどのようなものになるのか、予測不可能と言っても過言ではないように思います。
そして確認すべきことは、未来がどのような時代になるにしても、それを構築する主体は、あくまでも「人間にある」ということ、そして毎日、毎日の私たちの営みが、未来の社会を作り上げているということを忘れてはならないでしょう。
一年次の必修科目「仏教と人間」をはじめとして、さまざまな機会を通して理解されたように、駒澤大学は「仏教・禅の教え」を建学の理念としています。
それは、どのような人生を歩むにしても、ブッダの説かれた縁起の教えに基づき、あらゆる存在に対して、慈しみの心を持って生きていく事を、人生の基本に置くべきとの信念によります。
「科学的思考」と「競争」を基本とする現代です。歴史を見ればそれらが人間社会を豊かにしてきたことは否定すべくもありません。同時にそれが、先ほど申したような、さまざまな問題を私達に突きつけていること、言うまでもありません。
このように思ったとき、私は大本山永平寺を開かれた道元禅師が残された「自分自身(自己)と他人自身(他己)」という生き方を思い起こします。
それは自分と自分以外のあらゆる存在を、同価値・平等であると見る姿勢。それはお互いの尊厳を認め合う生き方を意味しますが、そのような仏教的な生き方が再評価されるべきと、私は強く思っています。
また大本山總持寺を開かれた瑩山禅師は「平常心是道」という言葉をもって悟りのきっかけとされたと伝えられます。文字通り、私達の普段の心のありよう、生活こそが、悟りの世界と言う意味ですが、それは禅で言うところの「修行」の考え方でもあります。
皆さんのこれからの長い人生、新型コロナウイルスの蔓延以上に、予想できないこと、思い通りにならないことが、頻出することは疑いありません。そのような場合、どう工夫し対処するか。そんなとき本学で学ばれた専門分野にかかわる深い造詣と、その基となる「仏教・禅」が説くところの「人間」としての生き方を是非、思い起こして頂きたく思います。
そのことを切に念じて、皆さんの卒業に当たっての、私のはなむけの言葉といたします。
令和7年9月20日
学校法人駒澤大学
総長 永井 政之